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名古屋判決を受けた共同代表らからのメッセージ

2020.8.22

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権利はたたかう者の手にある

尾藤廣喜
弁護士、生活保護問題対策全国会議代表幹事

憲法25条は、全ての人に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障しています。また、生活保護法8条では、生活保護基準が最低限度の生活の需要を満たすために必要な考慮事情をはっきりと定めています。

ところが、今回の名古屋地方裁判所の判決は、「最低限度の基準」は、厚生労働大臣の裁量に全てまかされている、法8条の要件を考慮しなくても良い、審議会の検討を経ずに基準を決定しても問題がないなどと、憲法も法も無視した内容になっています。とりわけ、この引き下げが、自民党の政策の影響を受けていた可能性を認めながら、自民党の政策は「国民感情や財政事情を踏まえたもので」、厚生労働大臣が、これらの事情を考慮して生活扶助基準を改定できることは明らかであると判断していることは、「司法」の役割を放棄したものとして到底放置することはできません。マスコミからも、この判決の批判が多く寄せられています。

私たちは、この判決の不当性を広く世論に訴え、コロナ禍に多くの人々が苦しむ今こそ、「生存権」の保障が重要であることをこそ「国民感情」とし、正しい判決を勝ち取らなければなりません。

「権利はたたかう者の手にある」という朝日健二さんの言葉を今一度かみしめ、闘いましょう。


政治のあり方そのものとの闘い

いのちのとりで裁判全国アクション共同代表・稲葉剛稲葉剛
一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事

名古屋地裁の判決は「最低」「最悪」の内容でしたが、厚生労働省が専門家の意見を踏まえなかったこと、自民党の政策が基準引下げに影響を与えたことを「事実」として認定しました。

2013年の生活保護基準引下げは、科学的なデータに基づいて公正中立に決められたという厚生労働省のこれまでの説明を司法が否定したと言えます。

ある意味、この判決は、私たちが闘っているのが、生活保護をバッシングしてきた政治のあり方そのものである、ということを明確にしたと言えるでしょう。

コロナ禍の影響で貧困が急速に拡大する中、生活保護制度の重要性はますます高まっています。

いのちのとりで裁判を通して、生活保護を敵視する政治や政策を抜本的に変えていきましょう!


遠のく憲法25条、でも私たちは!

藤井克徳
NPO法人日本障害者協議会代表、きょうされん専務理事

「あじさいや 昨日の誠 今日の嘘」これは正岡子規の句です。前日まで信じていた名古屋地裁の「勝利」でしたが、当日の結果は惨憺たるものでした。狐につままれるというのは、このようなことを指すのでしょう。「勝利を信じていた」は、決して読み違えや楽観論ではありません。あまりの非人間的な基準切り下げに、公正・中立を標榜する裁判所の修正機能を期待するのは、ごく当たり前の感覚ではないでしょうか。今回の判決を名付けるとするとどうなるでしょう。「国の代弁判決」「特定政党偏重判決」「憲法解釈基準引き下げ判決」…、最低最悪を表す言い方は尽きません。

しかし、理不尽さや悔しさを嘆くだけでは、展望はひらけません。いま大事なことは、原告の訴えと、これを元にした私たちの主張の正しさに立ち返ることです。そして、正しさへの確信と怒りを運動のエネルギーに転化することです。控訴審や次の地裁判決に向けて、もっともっと大きな運動を創っていかなければなりません。

名古屋地裁の原告と弁護団、支援者のみなさん、お疲れさまでした。私たちの運動に「あきらめ」は似合いません。真の「いのちのとりで」をいっしょにつくっていきましょう。


一緒に変えていきましょう。

いのちのとりで裁判全国アクション共同代表・雨宮処凛雨宮処凛
作家

名古屋地裁の判決はショックでした。

引き下げが始まるという時から、「国から死ぬと言われている気がする」「生きていてはいけないと言われているようだ」という声を多く聞いてきました。

今回の判決は、弱い立場に置かれている人々の生存を踏みにじるものに思え、深い怒りの中にいます。

ただ、ここからできることはたくさんあります。一緒に変えていきましょう。


人権確立の一里塚に

いのちのとりで裁判全国アクション共同代表・井上英夫井上英夫
金沢大学名誉教授、日本高齢期運動サポートセンター理事長

全国の原告の皆さん、コロナ禍、ご無事のことと思います。

名古屋地裁の不当判決、さぞかしお怒りでしょう。このような結果になったこと、全国の運動の力不足をお詫びいたします。

地裁傍聴、抗議集会で、判決への原告の皆さんの怒り、深い悲しみを痛感しました。しかし、判決が余りに理不尽なため、原告、弁護団そして支援する人々の怒りはますます大きくなり、今後の裁判、たたかいへの決意が強く固まったと思います。生活保護基準を、国民感情、自民党政策によって決めても良いという名古屋地裁判決を十分分析し、批判しつくし、後に続く裁判に生かしましょう。

まず、生活保護は、人権として保障されていることを確認しましょう。世界は、第二次大戦が、人種や障害をもつ人への偏見と差別を「作出助長」し、扇動し、戦争に突き進み悲惨な結果をもたらしたことを深く反省し、人権保障を掲げ、日本国憲法はその先頭を切ったのです。人権は、国民感情によって左右されてはならない。たった一人でも保障されなければならない。それゆえ、多数決原理の支配しやすい立法府、行政府をチェックし、正すために裁判所・司法府が置かれたのです。

名古屋地裁は、人権としての生活保護発展の歴史と意義を全く無視し、自民党政府、行政府・とりわけ厚生労働大臣に屈し、人権保障の使命、司法の独立を自ら放棄したと言わざるを得ません。憲法97条は、人権は、人類のたたかいの成果であると明言し、12条で、国民に憲法そして人権を守り発展させるための「不断の努力」を求めています。名古屋地裁「理不尽」判決克服を人権確立の一里塚としましょう。たたかいは続きます。頑張りすぎず、友達を増やし、楽しみながら進みましょう。


私たちは歩みを止めない~誰のための裁判所・怒りを力に~

安形義弘
全国生活と健康を守る会連合会会長

原告の訴えに背を向け、あたかも「生活保護基準は厚生労働大臣の腹一つで決められる」とした名古屋地裁判決は断じて認めることはできません。判決は「引き下げは自民党の政策の影響を受けていた可能性は否定できない」としながらも、財政事情や国民感情、政権与党の

公約などを考慮(「忖度=そんたく」とも読み取れる)して基準改定はできると、国の限りない裁量権を認める不当なものです。

コロナ感染は、「いのちのとりで」としての生活保護の大切さを浮き彫りにしています。

皆さんの「連続した切り下げによって、支出をぎりぎりに切りつめ、生きるのがやっと。人間らしい生活の回復を」の訴えは、生活保護利用者、貧困に苦しむ人びとの願いです。ここで引き下がる訳にはいきません。

名古屋地裁の原告の皆さん、弁護団、支援者の皆さん、本当にお疲れ様でした。怒りを力に健康に留意し、裁判勝利・「生きる希望の持てる生活保護制度へ」と、さらに闘いの輪を広げましょう。


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