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基準引き下げで生きがい制約される|当事者の声

越前和夫(大阪訴訟第3回期日意見陳述要旨)

野宿者支援の相談会で申請

私は昭和15年12月に青森県東津軽郡で生まれました。中学卒業後集団就職で東京に出て製本工として働き始めましたが、裁断機で親指と人差し指の第1関節を切断する労災事故に遭い、辞めました。

その後日雇労働者として働き、50歳過ぎからは現場監督と会社の金庫番を任されるようになりました。私は世話好きな性格で現場からの帰り道に酒屋で買ったお酒を皆にふるまったりし、仲間たちから人気がありました。

しかし、社長ともめて会社を辞めました。貯金も尽き平成13年頃から大阪城公園で野宿を始めました。私が野宿をしているのを知った昔の仲間たちが「昔世話になったから」と5,000円とか1万円とかを置いていってくれました。

この頃、野宿者を支援する団体の相談会が大阪城公園であり、生活保護を申請し、今日に至っています。

恩返しに訪問活動

野宿から脱却できた私は恩返しをしたいと思い、その団体で生活保護の申請に同行したり、生活保護を受けるようになった人のアパートや病院を訪問する活動をしています。

その交通費をねん出するため、できるだけ節約しています。朝はパンとスープとバナナ1本、昼は数百円の弁当、夜は自炊のご飯とスーパーの100円か200円の惣菜と発泡酒1本を飲むだけです。野宿していたときのシャツを今も着ており、服や下着類は年1回買うかどうかです。

しかし、保護費は平成25年8月から1,080円も下がり、11万6,690円になりました。期末一時扶助も減りジワジワと苦しくなっています。

生きがいの活動に制約

支援した人にはできる限り多く会いに行きたいのですが、今回の引き下げでその回数を減らさざるを得ません。こうした活動は贅沢だという人もいるかもしれません。しかし、病院で孤立して不安に思っている人に会いに行き、退院後の世話をし、喜ばれたり感謝されたりすることが私自身の喜びであり生きがいなのです。

保護基準の引き下げによって、こうした活動を制約されるのは、私が私らしく生きられないということであり、私にとっては大変な苦痛です。引き下げは撤回していただきたいと思います。

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