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憲法25条は予算の有無で左右されるものではない|当事者の声

S.Z.(大阪訴訟第2回期日意見陳述要旨)

心臓発作で働けなくなり

私は1948年,沖縄県宮古島で生まれました。当時の沖縄は米軍統治下で沖縄人(ウチナンチュー)をひき逃げしても罪に問われませんでした。

琉球育英会の留学生として神戸大学医学部に進学していた1970年、沖縄でコザ暴動がおき、酔っ払いの米軍兵士の車が沖縄人を死亡させ、積りに積もった沖縄人の怒りが爆発しました。私は、これに強い衝撃を受け大学を中退し、以降専従活動家として沖縄問題等に取り組んできました。

以来40年経過した2001年の夏頃,心臓発作が起こり、診断の結果、手術ができず投薬による治療しかなく、長距離を歩く等心臓に負担をかけてはならないと指示を受けました。そのため私は働けなくなり、生活保護を受給せざるを得ませんでした。

引き下げのたび1日の支出を切り詰め

生活保護を受ける前は数年に1度、故郷の宮古島に帰っていたのですが、それもできなくなり望郷の思いは募るばかりです。

そういう中、1回目の保護費引き下げがあり、毎日の支出を2,000円以内に切り詰め、新聞もやめざるを得ませんでした。2度目の引下げのとき毎日の支出を1,500円に、3度目の引き下げには毎日500円以内を目標にし、超えても1,000円以内に収めるようにしました。

キャベツやホウレンソウ等の野菜を含め物価があがっているため、近くのスーパー全てを回り、最安値で買っています。ここまで切り詰めても支給日直前には保護費は尽き、家にいるしかありません。

保護費引下げで、ライフワークである沖縄基地関係の集会や勉強会などに行く交通費を出すことが難しくなってきています。

一方で防衛費を増額する矛盾

憲法25条は、国民が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障しています。これは,憲法が保障する権利です。予算の有無で左右されるものではありません。保護費を削減する一方で、防衛費を増額すること自体矛盾しています。

裁判所におかれては、行政に屈服したり、おもねることなく、独立して司法権を行使するとの矜持を持って憲法25条を生かす判決を下して頂くようお願いいたします。

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