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障がい者は、霞を食べて生きる仙人ではない|当事者の声

山内一茂さん(大阪訴訟第1回期日意見陳述要旨)

給料が月2万を超えることがなく

私は、脳性麻痺で生まれつき手足が不自由で話すことも満足にできず、十分な教育を受けられませんでしたが、手術とリハビリを受け、大学に進学することができました。しかし、大学を出ても仕事はなく親と同居せざるを得ませんでした。

そんな時、仕事もあるから「大阪にきませんか」と誘われました。1990年5月、私は福岡県の小倉から大阪に行きました。ここから私の自立生活が始まるのだという高揚感と不安を持ちました。

当初、福祉施設の職員になれると考えていましたが、就職口はなく、福祉施設に通う障がい者の1人として働かざるを得ませんでした。給料は月2万円を超える事はなく、結局生活保護を受給することになりました。

その上2005年、頸椎の手術を受け、車いす生活を余儀なくされ働けなくなってしまいました。私は長年の間、「障がい者は働いて食べることをあきらめないといけないのか、人の海の中に参加することはできないのか」、そう自問しながら生きてきました。

障がい者の社会運動を通じて、思いを同じくする様々な仲間に出会い、社会運動を通じて人の海の中に参加できるようになりました。

生活保護は希望をつなぐ制度

障がい者は、霞を食べて生きる仙人ではありません。物を食べる人間です。物を食べるためにはお金が必要ですが、そのお金を自分の力で獲得することはできないのです。こんな私の生活を支えてくれたのが生活保護制度でした。

私が今回訴訟を決意したのは、生活保護基準が物価の下落を理由として下げられ、こうした今までの生活が破壊されてしまうと知ったからです。今回の引き下げは、私だけでなく、私の後に続く障がいを持つ者の自立を阻害しています。

この障がい者切捨ての動きに対して、どうしても納得がいきません。生活保護制度は私に続く障がいを持つ者の希望をつないでいく制度です。その希望が簡単に傷つけられないように裁判官にはきちんと判断していただきたいと思います。

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