奥川秀美(大阪訴訟第7回期日意見陳述要旨)
私は昭和20年11月、京都市で生まれ、現在71歳です。家は農家を営んでいましたが、私が小学生の頃、父がケガで働けなくなり、生活保護を受けるようになりました。
近所の人から「ちゃんと働かないと」と嫌味を言われたり、学校でも白い目で見られました。
また、私にはひどい吃音(どもり)があって授業で本を読み上げることができず、日常生活でもほとんどしゃべりませんでした。
中学卒業後すぐにテレビ部品製造工場で働き始めました。職場の同僚たちは、私の吃音を馬鹿にせず、職場の労働組合の学習会やレクレーションでも、私が話すのをじっくり待ってくれました。
おかげでだんだん話せるようになり、吃音が治りました。人生の転換点でした。
その後、電気工事士の資格をとり、電気工事会社に転職し、年収600万円を稼ぐ時もありました。
48歳のとき、16年間勤めた電気工事会社を辞めました。その後、日雇い建設作業員として働きましたが、高齢のため仕事がなくなり、貯金を取り崩す生活となりました。
65歳頃には蓄えも尽き、年金だけでは生活できず、身体の調子も悪く生活保護を利用することにしました。
生活保護申請後に検診を受けたところ、進行性の前立腺がんが見つかりました。他に慢性胃炎等もあります。
保護費は、1回目の引き下げで1,000円弱下がり、次の引き下げでも同じくらい下がりました。「バランスの良い食事を3食きちんととるように」という栄養士からの助言に従い自炊していますが、保護費引き下げにより生鮮食料品の値上がりをひしひしと感じています。
70歳になってからは年齢区分の変更で5,000円以上も下げられたため、いくら切り詰めても、少しでも油断すると年金支給日前の偶数月の月初めにはご飯と塩こぶだけになるので買い物では必死にお金の計算をしています。「年寄りは早くこの世から去れ」と国から言われているみたいです。
タバコも酒もほとんどやらない私には、地域の市民団体の友人たちとのつながりが生きる支えになっています。しかし、引き下げの影響等で楽しみにしている市民団体の日帰り旅行も参加できていません。
専門家の意見では、高齢1人暮らし世帯は月4,000円上がるはずだったと聞きました。それを逆に引き下げるなどとても許せません。
裁判所には、是非私たちの生活実態をきちんと見て、国のあやまちを是正し、憲法25条と13条(個人の尊厳)を守る判決を出してほしいと思います。