N.N.(大阪訴訟第5回期日意見陳述要旨)
私は1954年、露天商の長男として石川県金沢市で生まれました。仕事柄全国を転々としましたが、今は大阪で暮らしており、現在62歳です。
30代半ば頃から始めたトラック運送の仕事は順調でしたが、49歳の頃、激しいめまいに襲われ何度か事故を起こしたため、廃業せざるを得ませんでした。その後、足の血管が詰まって歩けなくなるくらいのめまいや吐き気に襲われ、54歳の頃、手術を受けました。
内縁の妻から離婚された私は頼る家もなく、お金も底をつき、生活保護を申請しました。
保護利用後もハローワークに通い、多いときは月に5、6社ぐらい面接を受けていましたが、私を採用してくれる会社はありませんでした。就職できないことは本当にしんどく、1年ぐらいすると私はうつ病と診断され、働くこと自体が難しくなりました。
保護費引き下げ以前は、昼に500円の弁当を買い、週に1回はおかずの品数の多い弁当を買っていました。映画は無理でしたが、年に数回は300円や500円ぐらいの古本を買う等するのが少しの楽しみでした。
しかし、引き下げ後、昼の弁当を400円にし、おかずの品数が多い弁当は2、3週間に1回に減らしました。それでもお金は足りず、衣服や下着も買えず、古くなった服や下着をずっと使っています。
年に数回、安い古本等を買うという“少しの楽しみ”すら奪われた私は、国から「あなたたちは何もせずずっと寝とけ」と言われているような気がします。
保護費が下がっても今までと同じだけの生活ができるなら納得できますが、それもできず、今まで以上の我慢を強いられるのは納得できません。国には保護費を下げる理由についてきちんと説明していただきたいです。