「解釈改憲」は憲法9条だけの問題ではありません。
実は今、生存権保障をうたう憲法25条も骨抜きにされつつあります。自己責任を強調する社会保障制度改革推進法が2012年に成立して以来、医療、介護、年金等すべての分野で削減がおし進められているのです。
その突破口とされた生活保護制度では、老齢加算の廃止、生活費や住宅費などの引き下げが相次いでいます。くらしの最低ラインである生活保護の引き下げは、すべての人の「健康で文化的な最低限度の生活」レベルの引き下げを意味します。
このまま黙っているわけにはいきません。誰もが社会から排除されることなく、人間らしく生きることのできる社会保障制度を求めて、集い、つながり、そして声をあげましょう。
誰でも貧困に陥る可能性がある社会の中で、大切なのは、どんな状況でも人間らしく生きられる最低限のセーフティーネット。憲法にも保障されているこの権利を、みんなで守りましょう。
人間が社会的な動物である以上、一個人の人生にとっては、幸不幸を問わず、社会的な影響は不可避です。「責任」とは、responsibility(応答可能性)です。一個人の生活を、ある社会が危機に陥らせているなら、それは社会自体の失敗であって、その「責任」のすべてを「自己」が負わねばならないというのは、ナンセンスな主張です。そして、日本国憲法は、この当然の道理を、第25条によって保証しています。生活保護の申請は、日本国という共同体の構成員である一国民としては、当然の権利です。
生活保護は、命を守るための重要なセーフティネットです。その改悪を防ぎ、強靭なものへと改善していく運動を進めることがぜひとも必要です。
人類の目標は、平和と平等、この2つしかありません。
ただ、食べられて、屋根がある家に住めるだけ(それさえも拒否されつつあるが)だと、奴隷と同じだ。健康的で文化的に生きられなければ、「心」は死んでしまう。
「人間らしい生活を送る権利=生存権」を保障する憲法第25条。しかし最近、その権利を脅かす動きが目立っています。生活保護基準引き下げを突破口とする、社会保障費全体削減の実態とは?