賛同人・団体はこちら
わたしたちはひとつずつ憲法25条の内実をつくる努力をしてきて今があります。でも現在、他人に迷惑をかけてはいけない、社会保障を利用しないことが「自立」だと思い込まされている母子家庭のママがたくさんいます。いちばんのしわ寄せは子どもたちに来ます。「福祉サービスを利用することは権利なんだよ。声を上げても大丈夫。そうすることでほかの人も希望をもって暮らせるようになるんだよ」と伝えたいです。
「平和」と「人たるに値する生活」は憲法の心。国民連帯の力で憲法を守り、暮らしに根づかせましょう。
生きる基盤を切り崩すと、「生きるために手段を選ばない社会」になる。そんな社会、居心地がいいはずがない。
「いのちの最終ライン」である生活保護基準が引き下げられたことにより、生活保護利用者の暮らしや健康が脅かされています。憲法25条は国が貧困と正面から闘うことを求めていますが、外に「仮想敵」をつくることばかりに熱心な政府は、私たちの本当の「敵」である貧困との闘いから撤退しようとしています。国に本来の仕事をさせるため、共に声をあげましょう!
人権は「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(憲法97条)です。憲法25条は、生活保護・社会保障を人権として保障しています。生活保護・社会保障を人権として確立しましょう。人権のために闘う世界の人々と連帯して、憲法25条・9条を保持し、豊かに発展させましょう。
生活保護制度は、≪いのちの最終ライン≫です。生活保護基準の引き下げは、憲法25条が保障する生存権を政府みずから放棄することであり、許せません。
「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。憲法25条は私たちの支えであり、武器であり、人間らしく生きていくための前提となるものです。一人ひとりが声をあげ、憲法25条、そして、生活保護をはじめとする社会保障制度を守りましょう!
誰でも貧困に陥る可能性がある社会の中で、大切なのは、どんな状況でも人間らしく生きられる最低限のセーフティーネット。憲法にも保障されているこの権利を、みんなで守りましょう。
人間は誰しも、人間らしく生きる権利を有している。痛みへの想像力も、人としての創造力も 一ミリも持たない政権によって、これ以上、それぞれの人の「暮らし」が破壊されてはならないはず。声を挙げ続けよう。ご一緒に。
10・28 25条大集会に全国の皆様の参加を呼びかけます。私ども生存権裁判を支援する全国連絡会は、老齢加算廃止撤回を求める裁判を支援し、取り分け最高裁への上告を大法廷で審理させ、憲法判断を下させるべく運動に集中していますが、本年1月に出された広島、新潟、秋田裁判の上告棄却、門前払いのような扱いにさせない大きな国民的な運動の結集が必要です。今こそ、憲法25条の真の具現を願う人々の大同団結が必要な時ではないでしょうか。
憲法25条は9条と並ぶ日本国憲法の大きな柱です。ところが、25条をめぐる戦いは社会全体のものにはなりきっていません。平和は生存権保障の前提であるとともに、国民の生活が安定してこそ平和も維持できるのです。憲法25条は貧困と格差のない社会を築く根拠規定です。憲法25条が社会発展の基礎であることを国民全体の意識に高めましょう。
数字が正義になり、利益だけを成功とする歪んだ価値観は、社会の中から、大切な人間の顔やぬくもりを消してしまう。憲法25条が象徴する「おたがいさま」の精神は、世界に誇れる日本の宝、私たちが全力で守り、胸を張って子どもたちに手渡しましょう。
高齢者も障がい者も貧しき人も置き去りにしない人生100年
生活保護基準の「引き下げ」は、全ての社会保障の切り下げの先駆けであり、「命の切り下げ」そのものです。みんなの力で、「引き下げ」を撤回させましょう。
人間が社会的な動物である以上、一個人の人生にとっては、幸不幸を問わず、社会的な影響は不可避です。「責任」とは、responsibility(応答可能性)です。一個人の生活を、ある社会が危機に陥らせているなら、それは社会自体の失敗であって、その「責任」のすべてを「自己」が負わねばならないというのは、ナンセンスな主張です。そして、日本国憲法は、この当然の道理を、第25条によって保証しています。生活保護の申請は、日本国という共同体の構成員である一国民としては、当然の権利です。
すべての人は尊厳を保って暮らす権利をもち、国は生活のあらゆる面でその向上に努める。戦争・内戦による難民が5000万人を越えるといわれる今、憲法25条を世界に開かれたものにしなければならない。
日本国憲法第25条が示しているのは、この国で暮らしているすべての人たちの最低生活の基準値です。このたびの生活扶助や加算の引き下げにより、この基準値が下げられてしまいます。事は、生活保護を利用する人の生活に限らず、すべての人たちの生活に関わります。10月28日、日比谷野外音楽堂に結集して、25条を守るとりくみの第一歩をともに踏み出しましょう。
憲法25条は社会福祉の根幹のひとつです。憲法の形骸化を許し、これ以上の社会保障の後退や劣化があってはならないと思います。すべての人が安心して普通に暮らせる社会になるように共にがんばりましょう。
戦争法案強行による軍事費増大で、先進国最低に抑制された日本の社会保障予算のさらなる削減は必至。クレプトクラシー(収奪・盗賊政治)日本に終止符を打たなければ、日本の社会保障充実は不可能だ!
生活保護は、命を守るための重要なセーフティネットです。その改悪を防ぎ、強靭なものへと改善していく運動を進めることがぜひとも必要です。
安倍内閣は2013年8月から15年4月まで3回にわたり生活保護基準の戦後最大の引き下げを強行した。この3年の安倍内閣の「日本再興戦略」には、「成長」という用語が300回近く出てくるが、「貧困」という用語はどこにもない。このことはこの内閣の貧困対策がいかに貧困であるかを物語るものである。健康で文化的な生活水準の保障を定めた憲法第25条に照らして、違憲の疑いが強い生活保護基準の引き下げに対して、いまこそ「25条守れ」の声を上げよう。
人類の目標は、平和と平等、この2つしかありません。
生活保護は人間として生まれた者の輪番制の権利です。人生の浮き袋のようなもので、独力で泳げなくなった人に差し出す人生お互い様のヒューマンな思想に基づいています。人間性の拠点を守るのが法というものです。真の助け合いが心から求められます。
ただ、食べられて、屋根がある家に住めるだけ(それさえも拒否されつつあるが)だと、奴隷と同じだ。健康的で文化的に生きられなければ、「心」は死んでしまう。
※11月27日現在、50音順
※11月27日現在、50音順