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心を支えてくれた猫は贅沢なのか|当事者の声

K.S.さん(第10回期日意見陳述要旨)

私は1960年、大阪府交野市で生まれました。高校中退後、お寿司の製造工場などで働き1987年に結婚し長男と次男を出産しました。

しかし、夫は今でいうDV夫で、殴る、物を投げつける、ののしるなど、私は様々な暴力を受けました。夫は家にお金を入れず、家計が苦しいと訴えると「俺が稼いだ金を俺が使うのは当然や」と罵倒されました。

私がパートに出ると夫は私の稼ぎの分だけ家にお金を入れず、私の帰宅予定時間が1分でも遅れたら罵倒されました。夫のDVに苦しめられているとき、私と子どもたちの心の支えとなったのが拾ってきた猫でした。

2005年の冬、家計は一層厳しくなり、夫の罵倒もひどくなりました。家庭のピリピリした雰囲気を感じたのか下の子が血便をするようになり、上の子が包丁を持って後ろから夫をにらみつけているのを見て、このままだと上の子が夫を殺してしまうと思いました。

思い切って子どもたちに家を出て行こうと相談すると「猫を連れていけるならいいよ」と言ってくれ、私たちは猫と一緒に実家の府営住宅に転がり込みました。

着の身着のままで実家に転がり込んだ私たちを支援団体の方が支えてくれ、生活保護も支援団体の援助で受けられるようになりました。夫と居るときはピリピリしていた子どもたちが「大の字になってこんなにゆっくり寝れたん初めてや」と笑顔で話すのを見て、私の決断は間違ってなかったと思いました。

家出するときに一緒に連れてきた2匹の猫は13歳になりました。1匹は目が見えなくなり、軽い認知症にもかかっているようです。夫のDVで苦しめられているとき私たちを支えてくれた猫は家族の一員です。生活保護を受けるようになっても大切な猫を手放すことなど考えられません。

引き下げにより生活は苦しくなっています。切り詰めるものは食費と被服費程度しかなく、服の購入は極力控え、破れたら繕っています。また、人付き合い自体を控えることが増えました。引き下げ前は小銭をためたお金で猫を病院に連れていくことができましたが、今はそれもできません。

憲法25条は健康で文化的な最低限度の生活を保障しています。私たちが生きていくためには、DVで辛かった時に心の支えとなったかけがえのない猫を診察に連れていくことさえ諦めろというのでしょうか。それが本当に文化的な生活といえるのでしょうか。裁判所には本当に今回の引き下げが正しいのか考えていただきたいと思います。

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