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生活は貧しいけれど、心まで貧しくない|当事者の声

梶原晴子(神奈川訴訟原告)

受給はプライドを捨てること

私は、生活保護を受けて、7年目になります。精神疾患、ぜんそく、糖尿病等の事情により働くことができません。

そのため母が存命中は、母の年金で母と一緒に暮らしていました。ところが、その母が亡くなってしまい、私は生活保護を受けることになったのです。

生活保護を受けるということはプライドを捨て、生身の体をさらけ出すということです。生活保護を受けるとそれだけでひどいことを言われ、悪く言われる対象になることがあるからです。

私は今回、ぜいたくをしたくて原告になったわけではありません。生活保護で生きている、今の、私の現状を知ってもらうために、声を大にして言うために、原告になりました。

生活保護で暮らしている人たちは、ほとんど私と同じ様な生活をしていると思います。

節約で熱中症に

3度の生活保護の切り下げのために生活保護費は下がる一方で、消費税はどんどん上がり、生活はますます苦しくなるばかりです。ぎりぎりの命をかけた生活です。

私は昨年、家の中にいて、熱中症になりました。電気代を節約するためにクーラーをつけることができないからです。命ぎりぎりで切り詰めているのです。

1日3食なんてとんでもありません。1日2食を食べられたらいい方です。もう切り詰められるのが食費しかないのです。安いスーパーをまわり、正規の値段では買いません。安いスーパーの安くなった品物を探し買います。レジに並ぶ前に、計算をして、財布の中身と慎重に相談するのです。ポンポンと物を買うことはできません。レジが怖いのです。

食費を切り詰め、光熱費を切り詰め、出歩くことはしません。家に引きこもり、お付き合いもせず、不義理をしながらひっそりと生きています。

私が一番つらいのは、叔父や叔母が亡くなってもお線香代さえ送ることができないことです。私のことをかわいがってくれていた叔父や叔母でした。そんなとき、自分がみじめで、情けないと痛切に感じます。

洋服や下着さえも、ほとんど買うことはできません。食べていくのに精一杯なのです。生活保護をもらう2、3日前は財布の中はいつも120〜130円くらいしか残っていません。

憲法25条に書いてあるような健康的で、かつ文化的な生活と言えるのでしょうか。どのような生活が第25条にあてはまるのでしょうか。

節約で熱中症に

私は、皆様方の税金で生かされています。政治家の皆様も大きい給料、これも日本全国の皆様の税金ですよね。

私は、政治を行っている人々に言いたいです。1年、いや半年でも私たちと同じ条件で生活してみて下さい。どうすれば、楽な生活ができるのか、お手本を示してもらいたいと思います。

生活保護費が切り下げられ、もう生活していけません。ガマンガマンの連続ささやかな希望もかなうこともなく、どこまで我慢すればいいのでしょうか。健康的でかつ文化的な生活、こんな暮らしをしてみたいです。

たまには、友とランチをしたり、1年に1度くらいは温泉にゆっくりつかり、しがらみを洗い流したいです。こんな日々は来るのでしょうか。私も皆さんと同じ赤い血が流れている人間です。

私たちも人間、人間なんです!! 裁判官の皆様、我々の声をしっかりと聞いて欲しいと切に願っています。

これが私が裁判所で話をした言葉です。

心までは貧しくない

まだまだこの生存権裁判のことを知らない人々がたくさんいらっしゃいます。日本全国この裁判が行われていることをもっと多くの人たちに知ってもらうために私たちは努力しなければなりません。

今は普通に生活をしている方も、いつ生活保護で生活することになるかわかりません。決して生活保護をもらうことは恥でもなんでもありません。憲法25条に守られているのですから。だからといって税金を納めてくださっている国民の皆様には感謝しております。

人間は一人では生きていかれません。私はこの生存権裁判にたずさわって成長できたと思っております。いろんな仲間が増えました。以前よりも、もっと人を思う気持ちにも余裕がでてきました。

「一人はみんなのために、みんなは一人のために」。

なんて素敵な言葉でしょう。いろんな人たちに励まされ勇気づけられ、私は今、毎日を過ごしています。生活は貧しいけれど、心まで貧しくはありません。人を思いやる気持ち、人の痛みがわかるような、そんな人間として、これから先、生きていきたいと思います。

私は、国民の皆様、そして応援してくださる皆様方に深く感謝しております。

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